残念

なんか色々書いたがやめた。

今朝、偶然目にしたマイミクさんの日記で「残念です」という言葉があった。詳しくは書かないが残念な人達に対する日記だった。

僕は4年前にPerfumeのライブやインストアイベントに足を運ぶようになり同時にヲタの日記を検索するようになってからしばしばこの「残念」とか「残念な人」という言葉を目にするようになった。
最初はよくわからなかったが、そのうち文脈などから常識から若干(だいぶ?)逸脱したヲタの行動を指して用いる言葉であると理解した。「必死」という言葉もよく用いられていた。ニュアンスとしてはほぼ同義だろうか。最前をポ主(ポジションを主張する、の意味)するためにあらゆる手段で頑張る、同じCDを何十枚も買う、整理券配布のために始発で東京に行く、握手会で城選手のディフェンスに耐えキープする、年末に広島までフリーライブを見に行く、などが「残念」や「必死」の例だろうか。
一般人(何をもって一般人と呼ぶかという問題はあるが)から見れば理解不能な上記の行動を「残念ですね」「必死だなあ」とゲラゲラ笑っている人達を僕は見てきた。それは嘲笑と自虐と賞賛が入り混じったちょっぴり複雑な言葉だった気がする。そして、いつの間にか僕自身もそうした行動をとるようになり、何人かから「残念だなあ」と笑われるようになった。僕は「えへへ」と気持ち悪く笑い返すばかりだった。

僕はそういう非常識が少しだけ(だいぶ?)まかりとおってしまう空間が好きだったんだと思う。別に自分が得するとかでなしに(いや、ちょっぴり得したよね、去年とか)、見てるだけで笑えたから。最初は相当引いてたけどな。時間が経つうちにだんだん変わっていった。それはもちろん都合のいい、クソのような欺瞞に満ちた考え方であるんだけど。実際おもしろくない人も大勢いたと思うけど、なんとなく「まあ仕方ないよね、彼らの方が必死だから」「俺、あそこまで残念に出来ないわ」みたいな部分で片付いていた場合が多かったと思う。ここでも「残念」、「必死」の感覚が共有されていたのではないだろうか。
もちろん僕の一方的な思い込みであることに異論の余地は無い。

時は流れこの感覚はおよそPerfumeの現場で共有できる状況ではなくなったといえる。多くの人がわかりきった当たり前の常識を主張し、世間の目を気にし、他人(おもに自分)の迷惑を考えろと言う。健全な空間を作ろうと「みんな」が努力していると言いたげだ。
それでいて圧縮は酷くなる一方なので、都合のいい部分は曖昧なまま残しておきたい、というのが多くの人にとっての共通な認識かもしれない。無意識かもしれないけど。おもしれーなあ。

残念な人達は理解不能なカルト集団と断じられ、ごく当たり前の指摘を受けて排除されようとしている、あのコールと共に。

僕はそれが残念でならない。

サマソニのチケット買ったよ。